タイトルイメージ Vol.10
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   − 自分スタイル


 ■子どもとのフェアなコミュニケーションについて考える・・・。

 ずっと、「フェアなコミュニケーション」という言葉が気になっていました。
 ゴーン社長が進めてきた、日産自動車のリバイバルプランにも関わったという、デザイナーでもあるコンセプターの飯島ツトムさんが、ご自分が子どもの頃のお母さんとの関係のお話をされたときに「フェア」という言葉を使っていて、親子の関係をそういうふうに表現されているのを初めて聞いたからかもしれません。

 
 ◆テストの採点をツトム少年に頼んだお母さん
 
 教師だった飯島さんのお母さんが、子どもだったツトムさんに、自分自身の相談を持ちかけ、意見を求め、耳を傾けます。そして、さらには、生徒たちのテストの採点をツトム少年に頼んだり、そのことでツトム少年が学んだりと、何ともほほえましい光景が目に浮かぶようでした。
 そのお話を聞いていて、私は、自分の子育てが、はたして「フェア」という言葉で語れるものだったかと、ものすごく気になってきました。そしてまた、今私が開いている教室での生徒対応でも、フェアな関係づくりができているのかと・・・。


 ◆私の言うことは聞かないで、 お父さんが言うと いうことをきくんです。

 先日、あるお母さんと話していて、「2人のお子さんの子育てでいま一番大変なことは何ですか?」と聞いてみました。
「いま、4歳の女の子と、2歳の男の子がいて、上の子が言うことをきかないんです。」
「実際にどんなふうに言うことをきかないんですか?」
「下の子の遊んでいるおもちゃを取って、それは○○ちゃんのだから、ダメ!返してやりなさいと言っても、全然ダメなんです。」
「その他にもあるんですか?」
「他のことでも私の言うことを聞かないで、お父さんが言うということをきくんです。」
「それはどうしてですか?」
「おとうさんはこわいから・・・」
 と話してくれました。

 これは私にも覚えがあって、子どもが小さいときには、力づくでいうことをきかせていたなと、今思い出して、穴があったら入りたい気分になります。でも、子どもが自己主張し始めた頃から、「こんなことを続けていれば、いずれ子どもが反抗するようになるのは目に見えているし、本当に子どもに伝えたいことが、ほとんど伝わらないだろう」と考えたときから、本当の意味での私の子育てが始まったように思います。


 ◆本当に伝えたいことがあると怒らなくなる。
   「伝えること」は フェアな関係作りから


 ある講座で、そこにいたお母さんが、「いつも、つい子どもを怒っていましたが、あるとき、『今、自分は子どもに何を伝えたいのだろう?』と思い、そう考えるようになってから怒らなくなりました。」と言ったことがありました。
 私も、最近、子育てでは「親が子どもに何を伝えたいかがはっきりしていないと、親の思いは子どもには伝えられない」と考えるようになりました。この「伝える」という言葉、毎日子どもとバトルを繰り広げているお母さんたちが、子育てが楽になるための、大事なキーワードのような気がしています。

 私は、「どうすれば『伝わる』のか?」ということを考えると、そこに「フェア」な関係が成り立っているかどうかが、かなり大事なポイントだと思っています。
 親が一方的でも伝わらないし、子どもに振り回されても伝わらない。子どもだけでなく、親にとっても「フェアな関係」が欲しいところです。「どうすれば伝えられるか?どうすれば伝わるか?」を考えていくと、そこには、おのずとフェアな関係が生まれていくということなのかもしれません。


 ◆生徒とのフェアな関係はどう作る?
      フェアには丁寧という意味もあります


 私の教室(学びのアトリエ)での、子どもとのやりとりの例を挙げてみると、例えば、らくだのプリントが、毎日一枚できない子に、「なぜ毎日一枚やることが大事なのかを、どうすれば伝えられるか?」ということを考えてみると、そこにさまざまな工夫が生まれます。少なくとも、怒鳴る、強制するという選択肢はありません。
 学習コーディネーターとしての私が、「子どもが何を考え、どうしたいと思っているのか」を聞き、「何を、どう提案するか?どう言えば伝わるか?」を考えていかなければなりません。それは本当に一人一人違うことだと思います。

 先日も、小3のH子ちゃんと話していて、「毎日プリントを続けられない自分をどう思う?」「いやだ」「じゃあ、今日から毎日やってみることに挑戦してみる?」「どうするの?」「そうだね、じゃあ、今日からイチローの連続ヒット記録と同じように、毎日一枚に挑戦してみよう、何日続くか試してみようか?楽しみだね!」などと提案していました。
 途切れたときには「惜しかったね。じゃあ、今日からまたリセットして再挑戦してみようか?」そんなことも言います。
 そんなふうに、”毎日一枚続けてほしい”と思う私の気持ちと、子どもの、”毎日できるようになりたい”という気持ちをお互いに丁寧に確認し、納得できたような感じがしたとき、そこがフェアな場なのかもしれません。


 ◆フェアな関係を作りたいと思っているなら、『確認する』という作業は欠かせない

 あるお母さんが、「今小6の娘なんですが、そろばんをやりたいと言い出してもうすぐ一級になれるというところで”やめたい”と言い出しました。『私がやれっていったんじゃないよね、じぶんでやるっていったんだよね。』と、確認しただけなのですが、またやりはじめました。」と、話してくれました。
 娘さんの、”やめたい”という言葉に振り回されるのではなく、かといって、続けることを強制するのでもなく、娘さんが”やりたい”と言って始めたことだということを、確認しただけのことですが、これだけで、本当はもう少し続けた方が良いと思っていた娘さんにとっては、もう一度気持をリセットして続けるチャンスを、親に提案してもらったということなのでしょう。
”続けてほしい”ということを、『伝えたい』と思っているなら、子どもの気持ちを『確認する』という作業は欠かせません。


大人も子どももコミュニケーションが課題?!



 ●学びのアトリエ日記

 教室に来ていたK君(高1)に、インタビューしてみました。
「今、一番できるようになりたいことは?」の問いに、「うーん、うまく言えないんだけど、指導力かな・・・」。「???」。横で聞いていたお母さんが「リーダーシップのことじゃないですか?」と言うので、「えっ、そうなの?それはどうしてそう思ったの?」「最近、友だちと話していて、突っ込み過ぎて、みんなから批判されたりして、自分でも責任をとらなきゃと思ったりして・・・」「それはうまく、皆に気持ちを伝えられないとか、コミュニケーションがとれないとか、そういうこと・・・?」

 そんな話から始まって。親や兄弟との話、学校での友だちや先生との関わりを話してくれたのですが、こうしてじっくりと話を聞くと、K君がひっかかっていることが、ほとんど人との関わりのなかで生まれていることを改めて感じました。
 この間、ずっと隣で聞いていたお母さんは、「あら、そうだったの?」とか、「そうだよねー」などと相槌を打ったり、意外だという顔をしたり、今まで知らなかった息子の思いに触れるような感じを持ったようです。

 目の前にいる一人の人と向き合うこと、インタビューを使うことで、相手に寄り添って聞いていくことで、ほんのちょっと豊かな時間を共有したような感じがしました。

■岡本雅和の考現学から・・・

▼慶応大学名誉教授の村井実さんが、「問いを持ち続けられるずに、途中であきらめて、『これが教育だ』と思ってやってしまう人と、自分なりの答えを持って、『これでいいんだろうか』と思い続ける人の違いはなんだと思われますか?」
という平井雷太さんの問いに、「『あきらめる』というよりは、もっと単純に、はじめから簡単に『わかっているつもり』という場合が多いような気がしますね。(中略)『あの子はいい子です』とか、先生が簡単におっしゃいますけど『あの子は悪い子だ、いい子だ』と、簡単にそんなこと言えるものかなということを、私はいつも疑問に思っています。」と答えていました。

▼「わかったつもりにならない」が人が学ぶ上でのキーワードのひとつなのかもしれないと思いました。
 わかったつもりになると、問いがでなくなる。ものを見なくなる。聞かなくなる。話さなくなる。読まなくなる。そして、人と出会わなくなる。

▼10年前に初めてインタビューゲームを体験したとき、相手に何を聞いたらいいのか分からなくて、脂汗とともに問いを出していた自分がいました。脂汗は、自分の「わかったつもり」だったのだと思います。今だに搾り切れていなくて、ハッと気づくとわかったつもりになっている自分に遭遇しますが、以前に比べれば、「おっと、また出たか!」と、そんな自分の癖を少し余裕で見られるようになったと思います。

▼わかったつもり=固定観念ということになるのでしょうが、この固定観念、人間の持っている業のようなもので、学ぶとは、この業から開放されるたったひとつの手段なのかもしれません。
▼学ぶことに向かって仕切り直すためには、他者と出会い、異質と出会うことで、個に付きまとう固定観念に揺さぶりをかけていくことが必要なのでしょう。そういう意味では「互いを見る」「うちなる自分を見る」ことをしながら、自分と相手の経験資源に出会うインタビューは、学ぶことの意味を実感できる大事なツールなのだと思います。